2010.3.29
千總の創業~法衣商と呉服商

千總の創業は1555年(弘治元年)ですが、当初から友禅染を手がけていたわけではありません。友禅染は千總創業から約100年後に開発された染法です。創業当初、今の三条烏丸周辺には多数の法衣店が軒を連ね衣座を結成しており、千切屋一門(千總ほか)も室町三条に居を構えて法衣・金襴商を営んでいました。この時期、千切屋周辺には、織田信長の本能寺の変(1582年)で有名な本能寺をはじめとして妙顕寺、妙伝寺、妙覚寺、妙満寺他多数の寺院があり、法衣の商いに適した環境でありました。これら寺院が天正の市街整理に際し、殆どが遠所(寺町通他)に移されるという不利な状況にもかかわらず、江戸期を通じて法衣業の独占的な商いしていました。千總資料館には、江戸期の装束法衣裂の貼交帖として、千切屋周辺の寺院の他に院御所様、日光御宮様、御新門様、御本門様他、お納めした装束裂が多数遺されており、商いの範囲と大きさがわかります。

 

IMGP1147.JPG千總資料館の資料

 

 四代千切屋惣左衛門の1600年代後半は、法衣と金襴巻物の呉服商を営み、機屋が西陣に集結し、衣料の需要に伴い奢侈化の傾向となり、幕府、諸大名をはじめ、公家、社寺の需要が増え、京都に置かれている呉服所から大名家等が衣服調度の用達を命じるという状況になり、西陣機業は隆盛を極め、元禄(1700年前後)の時期、千切屋惣左衛門家はその繁栄により分家・別家の協力のもと、その家業の法衣商を代々継承し、大いに発達し、のれんをかかげる分家・別家も大いに繁盛し、一門殆どが法衣を業とする呉服を営み隆盛を極めていたことがこの時期の古文書からうかがえます。千切屋惣左衛門はこの四代惣左衛門と五代惣左衛門の時代に法衣装束の呉服を業とする商いを確立したことが伝えられています。

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現在、千總ギャラリーでは、「-千總のルーツ 宮大工から法衣装束業へ- 千切屋惣左衛門の商い」を開催しております。ぜひご高覧いただき、千總黎明期の息吹をかんじていただけたらと思います。(N)