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COLUMN

2023年03月14日

御所解模様を読む

千總ギャラリーで開催している展覧会をより深くお楽しみいただくために、展示作品について深掘りし、会場では触れられていない時代や文化の背景などを取り上げます。
今回は「不在を見る 在るを知る」展で展示している「御所解雛形」を中心に取り上げ、御所解模様の特性とその成立の背景についてご紹介します。

「何を描くか」・「何を描かないか」

「何を描くか」という問いは、絵画のみならず、工芸意匠にとっても永遠のテーマといえるでしょう。しかし、形や材質などの制約の多い工芸意匠において、より多くのメッセージを盛り込むには、「何を描かないか」という側面にも注目する必要があります。その例が、江戸時代後期に武家女性や御殿女中が着用した衣裳の「御所解模様」です。

御所解模様とは、類型的な風景文様のなかに文学的主題を表すモチーフを配置した文様をさします。御所解模様の多くでは、人物を表さず、道具すなわち器物などに物語のイメージを託す「留守模様」によって文学的主題が表現されています。つまり、物語の登場人物の姿はデザインから意図的に排除されているのです。

では、どのようにして器物で物語を表現するのでしょうか。その表現の例として、「不在を見る 在るを知る」展に展示中の「御所解雛形」をご紹介します。

雛形本の中の御所解模様

 

「御所解雛形」江戸時代後期~明治時代頃 千總蔵

こちらはそのタイトルのとおり、御所解模様の図案を集めた小袖模様の雛形(見本)集です。小袖の形をした枠の中に、さまざまな御所解模様のパターンが全46図収載されています。

このうち35番の図(展示中)は、謡曲「鞍馬」を主題にした図案です。腰より上半には満開の桜、下半には松と菊が生い茂るさまが表されています。その中にまるで紛れ込ませるかのように、天狗の羽団扇、烏帽子、酒器、扇という、意味ありげなモチーフが配置されています。

これらのモチーフの組み合わせによって謡曲「鞍馬」が連想され、鞍馬山の花見の宴での天狗と牛若丸との出逢いを描いた場面が描かれていると読み取ることができます。天狗·牛若丸の姿こそありませんが、表された器物が持ち主を、ひいては物語そのものを表しているといってもいいでしょう。

「不在を見る 在るを知る」展では、同じく「鞍馬」を題材とした御所解模様の単衣も展示されています。モチーフの選択や配置が「御所解雛形」とは異なっていますので、ぜひ見比べてみてください。

出版の隆盛と文学的意匠

では、なぜこのような表現が可能となったのでしょうか。その理由として挙げられるのが、江戸時代になって確立した印刷技術と、街道が整備されたことによる交通網の発達です。それまで社会的地位が高い人々や知識人たちに独占されていた古典文学や知識が大量生産可能な版本となり、街道を通じて素早く一般市民にまで行きわたる環境が整っていきました。

 

『絵入源氏小鏡』中巻 千總蔵

文学作品が一般市民にとって身近な存在となったことで、今まで読者ではなかった女性や子供も手軽に文学作品に親しむことができるようになっていきます。そのため、そうした人々をターゲットとして、挿絵を入れることで難解な古典を読みやすくした版本も出版されるようになりました。例えば、『絵入源氏小鏡』(展示中)もそのひとつであり、各巻の主要場面を描いた挿絵が添えられ、読者の理解を助けています。

このような絵入り本の挿絵は時代を降るごとに場面が固定化していき、例えば源氏物語の場合は雀と桜は「若紫」、猫と御簾は「若菜」など、そこに表されたモチーフが物語を象徴するものとして定着していきました。

御所解模様は、そのようなモチーフの象徴化という共通認識に裏打ちされてこそ成立できた意匠といえるでしょう。人物を描かずに物語を表すという手法の土台には、人々の教養と、それを支える出版文化がありました。モチーフ自体が特定の物語を背負うことで、御所解模様の優美な世界を崩すことなく「物語をまとう」ことが可能となったのです。

text:林春名(千總文化研究所 研究員)
>千總文化研究所

不在を見る 在るを知る」展

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