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COLUMN

2021年10月01日

「図案」の発見と展開

千總ギャラリーで開催している展覧会について、より深くお楽しみいただくために作品を深掘りしたり、会場では触れられていない時代や文化の背景などをご紹介します。
今回は「歩み始めた図案」展で展示している手描きの図案に関連して、明治期の図案について時代背景などとともにご紹介します。

「図案」の発見

展覧会のタイトルにもなっている「図案」は、近代以降に普及した言葉であり、千總の友禅に留まらず、明治・大正期の美術工芸業界を席巻した考え方でした。

図案とは、建築家・武田五一(たけだごいち、1872~1938)の言葉を借りるならば、「美術工芸品に関する考案者の新案を都合好(よ)き方法を以て表出する技術」。具体的には、模様または幾何学に基づく比率などを用いた、製品のデザインを意味し、明治期に英語のdesignの訳語になっていました。

 Fig.1
図案例:『袱紗図案』用紙の上下に「図案用紙」「西村總所蔵」と印字されている

Fig.2
今尾景年下絵「型友禅染裂 几帳に鷹模様」(部分) 
鷹の体勢だけでなく、几帳(架)の柄や布地の模様も『袱紗図案』と酷似しており、何らかの関係性が窺える

工芸の近代化にあたり、第一に図案と言われるほどに図案は重要視されていました。その中で、明治政府は明治8~18(1875~1885)年にかけて『温知図録』を刊行します。図録には陶磁器や染織品などの工芸品の図案が収録されており、当時の工芸デザインに大きな影響を与えたと言われています。千總も、当主の西村總左衛門の名で『温知図録』に図案を提供しており、当初から図案との接点を持っていました。

競うように生み出された図案

Fig.3
元禄文様があしらわれた「型友禅染裂 波に槌車模様」

明治20年以降は、染織品の図案の洗練化が進みます。きっかけは、髙島屋が始めた図案懸賞でした。図案懸賞とは、主催者が主題を設定して図案を募り、順位を決定して、受賞者に賞金や賞品を授与する一種の審査会です。例えば、明治25年に京都美術協会が開催した図案懸賞では、菊花の主題に対して約340通の応募があり、1等を獲得した杉田安之助は賞品として西村總左衛門製品の「本紫塩瀬地茶地帛紗雪輪形白抜」を授与されたとの記録が遺されています。こうした図案の審査会は百貨店や友禅に関する団体などを中心に頻繁に実施されており、業界を挙げて図案の発展に取り組んでいました。

時代が求めた新しい図案=デザイン

他方で、こうした活動は流行の創出にも繋がりました。現在、ギャラリーで展示されている「元禄模様(げんろくもんよう)」や「光琳模様」は、三越が火付け役となって流行した文様のひとつですが、その流行の仕掛けのひとつとして、多くの人々の関心を集められる図案懸賞が実施されました。また髙島屋の図案審査会において発表される標準図案は、その年の着物の流行を左右したとも言われています。

Fig.4
明治31年第一回懸賞募集図案:夏模様での一等受賞作品

Fig.5
第十回募集図案のうちの一点

千總も図案の審査会にたびたび応募し、他方で三越や京都市美術工芸学校などにおいて図案の審査員を務めていました。また、管見の限りでは明治31年から昭和まで、社内で図案懸賞を実施しており、独自に研究を重ねていたことがうかがえます。

千總には現在も図案家が働いており、近代化の所産たる図案は現在も受け継がれていると言えるかもしれません。

text: 小田桃子(千總文化研究所 研究員)
> 千總文化研究所

明治期の図案に関連するコラムを、千總文化研究所のHPでも掲載しています。
意匠倶楽部との関わり | 千總文化研究所

「歩み始めた図案」展

千總ギャラリーについて

千總の所蔵品を展示するギャラリー1、現代の作家の作品を扱うギャラリー2にて、
同一のコンセプトのもとに展覧会を開催します。
パトロンとしてアートを支え、また生み出した歴史を背景に、
現代に工芸とアート、伝統と創造、過去・現在・未来が交差する場として、美との出会いをご提供します。